「アメリカ30年」
私がアメリカに来たのは1992年2月になります。もう30年経っちゃいましたねー。なんかあっという間でした。よく考えたら日本に住んだ年数よりアメリカのほうが長いんですよねー。そのわりにはいつまでも英語ヘタクソなのが泣けますよね。今でも圧倒的に日本語のほうが得意ですから。英語との相性がホント悪い。困ったもんです。
八代に帰るときにいつも八代在住の中学や高校の同級生たちに会うんですね。彼らの話を聞きながら思うんです。「こういう人生もあったよなー」って。要するにアメリカみたいな遠いとこに住むんじゃなくて、地元八代で暮らしていくってことです。別に海外に住むのがいいってわけじゃないですしね。「八代に住むのとアメリカに住むの、どっちが幸せだったんだろう?」とか考えるんです。いや、比べるの不可能ですよ。同時に両方に住むことって無理なわけだし。でも考えちゃうんですよねー。
アメリカに住むのもやっぱ大変でした。外国人だし英語ヘタクソだし差別されるしで。さらには、わざわざアメリカまで来てかみさんの尻に敷かれるという荒技までやって。ただアメリカに住み続けたことに関して後悔はまったくないですね。日本では経験できないことがたーーくさんあったんです。それだけでアメリカに住んだ甲斐がありました。人生一回きりなんですから、やっぱりいろんなものを見たり聞いたり感じたりしたいでしょ。その意味では「アメリカに住む」っていうのはインパクト大でしたねー。ただそれは今後もアメリカに住み続けたいって意味じゃないですけど。
アメリカに住んだからこそ八代や日本の良さを再確認した、って部分もあるんですね。年取ると原点に戻るというか、自分の根っこである場所に帰りたくなったりすると思うんです。そのせいでしょうか。最近「残りの人生は日本かなー」とか考えるんですよね。アメリカ30年。もう十分でしょ。まあ下の子が高校卒業するまではアメリカにいますけど、そのあとは八代に戻ろうかなー。来年ぐらいからぼちぼちプランを練りたいと思います。
筆者:竹永浩之
八代市出身。八代小→一中→南校(現:清流高校)→沖縄の大学へ(小中高時代のあだ名は“ポンタ”)。
沖縄で海の仕事に従事→アジア放浪→渡米。メディアで働いたあと主夫に。
アメリカ人のかみさんと息子2人の4人家族。米国・ニュージャージー州在住。
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