あの人に会いたい。File.04

親元離れ高校から寄宿生活 離れたからこそ見えた八代への思い

 松井家初代康之(やすゆき)と興長(おきなが)を祀る松井神社の宮司、旧八代城主松井家に伝わる古文書や茶道具、武具などを管理する松井文庫の理事長、そして平成23年からは八代市立博物館館長としての役割も加わり、多忙な毎日を送る松井葵之さん。足利家、細川家に忠義を尽くし仕えた松井家14代当主として凛とした瞳の奥に、包み込むような優しい、朗らかな人柄が見え隠れします。

 生まれは東京ですが、幼少期を八代で過ごした松井さん。「とにかく松井家では能の習得は必須で、週に2回、能に生涯を懸けた父の猛稽古が続きました」と、当時を懐かしみます。高校からは親元を離れ神奈川県に住む伯父(細川護貞)の家での寄宿生活。「しばらくはホームシックで、帰省する日が待ち遠してくてしかたありませんでした」と語ります。「従兄の(細川)護熙(もりひろ)とはよく、当時流行った洋楽のレコードを聴きながら夜を明かしたものです。夜中におなかが空いて、部屋のストーブで焼肉をしたこともありました」と笑います。高校、大学、就職と鎌倉で過ごした日々は、その土地を知る貴重な時間であったとともに、故郷熊本、そして八代を外から見るよい機会になったといいます。

町の発展は、その地の歴史を知ることから_ 受け継いだ“宝”を市民の誇りに

 昭和50年、29才で結婚。3人の子どもに恵まれ、熊本に帰ってきたのが昭和57年。宮司、財団管理、博物館館長といくつもの仕事を兼務する中で、常に心に留めてきたことがあります。それは、「先祖を大事にすること」と松井さんは言い切ります。

 現在、松井文庫に所蔵されている古文書や美術品の数々。「豊臣秀吉から拝領した茶器や徳川家康が康之に与えた水指など、まさに戦国の日本の歴史の中で動いたものなのです。なぜその時代に、松井家にこのようなものが与えられたのか。先人たちの歴史を知ってこそ、本当の価値が分かると思うのです」。町の発展も同じで、「その土地の歴史を知ることから始まる」と松井さんは力を込めます。

 「松井家に伝わる貴重な文化財は、八代の“宝”です。この宝を市民一人ひとりの誇りにしてほしいのです。そして、この宝を次の世代に確実に引き継いでいくことが、私の役割だと思っています」。

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●松井 葵之(みちゆき)さん(76才)
昭和21年、東京都生まれ。中学までを八代で過ごし、神奈川の鎌倉高校、神奈川大学へ進学。國學院大學神道学専攻科修了後、明治神宮入社。昭和57年、出水神社、松井神社宮司として帰熊。松井文庫理事長、八代市立博物館館長。

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