みなさんは“まちづくり”について考えたことはありますか?
少子高齢化の波は当然わが故郷・八代にも押し寄せ、以前のように活気に満ちた時代は終わりました。
そんな中、どの地域も、新たなまちづくりへの取り組みがすでに始まっています。
私たち一人一人がふるさとへの想いを胸に、自分がやれることを行動に移すことがまちづくりへの第一歩。だから、その手法は千差万別、十人十色。
今回は、様々な地域でまちを盛り上げていこうと、地域の中心になって日々奮闘を重ねている若手4名のそれぞれの取り組みや考え方、はたまた生き様についてご紹介します。
本町エリア
櫻井力助さん(32歳)
本町アーケードで60年続く老舗ブティックの4代目。高校卒業後、東京、熊本市内でアパレル修行をした後、25歳で帰郷。2017年4月から本町1・2・3丁目商店街と通町商店街の合同組織「まちなか活性化協議会」のタウンマネージャーに就任。
独自のカリスマ性で街の再生をめざすそして、次の世代の架け橋にも
八代の中心市街地の活性化をめざすタウンマネージャーとして忙しい毎日を送る櫻井力助さん。今や本町アーケードの恒例行事としてすっかり定着した「本町マルシェ」や八代の高校生たちのまちなか文化祭「アフタースクール」など中心市街地の集客のベースとなるさまざまなイベントの仕掛け人です。以前は商店街の一店主として姉妹店のメンズショップを営んでいましたが、就任と同時にすっぱり店を閉めマネジメントに専念。
「本音は自分の店だけを考えているほうが断然ラク。けれど誰かがやらないと八代の大事な“コミュニティの場”を次世代に残せないから」と自ら名乗りを上げました。
大切なのは目指す方向性のすり合わせ
本町アーケードだけでも約150店が軒を連ね、業種も世代も考えも異なる店主たちをまとめるのは至難の業。就任当初から「(統制は)無理…」とささやかれたことも、逆に櫻井さんの闘志に火を付けました。空き店舗対策では家賃の交渉など不動産仲介的な役割も担い、目標誘致店舗数の1/3を既に達成。統一感のあるまちづくりを進めるためにアーケードのエリア分けも進行しています。
「そもそも街をつくるのは街の人自身、自分はあくまでも手伝いに過ぎません。八代は元来、結束力の強い街。それ良い方向に生かせれば八代らしい人情味のある街を再生できるはず」。
誰にも媚びず、臆さず、孤軍奮闘といった印象ながら、櫻井さんにはこれからを支える高校生や大学生の協力者が多く、櫻井さんの活動を見て実際にその方面に進学した若者もいるほど。八代の街への熱い思いが、いいカタチでまた次の世代にも引き継がれようとしています。
坂本エリア
坂本 桃子さん(29歳)
本紙コラムでもおなじみの“坂本大好き”村ガール。地元ケーブルテレビで番組制作に携わるかたわら、地域交流団体「はちりゅういずむ」を起ち上げ、SNSによる情報発信や体験交流型イベントの企画を通して坂本町の魅力を広く伝えている。
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なお、坂本桃子さんは良きパートナーに出会い昨年末に結婚。4月からは水俣市に拠点を移します。「住まいは変わりますが、“坂本大好き”はこれからもずっと変わりません。水俣と行き来しながら今後も楽しく活動していきます!」。
大事なのは、自分のまちで“好き”を見つけて楽しく暮らすこと。
八代市の中でも高齢化が著しく、いわゆる限界集落と呼ばれる集落が目立つ坂本町。そこに生まれ育ちずっとコンプレックスを抱きつつも、大学進学で都会の殺伐とした暮らしを経験し、ふるさとの良さを再認識した坂本桃子さん。
「在学中から早く帰って坂本のために活動したい!とかなり意気込んでいました」。
帰郷後、初めて企画したイベントがきっかけでケーブルテレビの番組制作に携わるように。でも、取材を通して地域の人と関わる中で大事なことに気付かされたといいます。
「最初は、移住者を増やし、カフェも作って…とそんなことばかり考えていました。でも、それは私の勝手な思いでした。地元の人はそんなこと望んでなく、今を精一杯生きることを大事に思っているのだと。日々の買い物すら不便な環境だけに、下駄でも何でも作れるほど地元の人は生きていく力がスゴイんです。そうした姿を伝えることこそ大事なのでは?」と。「しめ縄づくり体験」など地区のいろんな名人たちを巻き込んでの体験交流イベントはそんな思いから生まれています。
どこかで、誰かが再現してくれたら
「伝統行事も、集落そのものも、なくなくっていくのは仕方がない。でも、そうした交流を通して一人でもいいから坂本の人々の知恵や生き方を知ってもらい、自分の暮らしに取り入れてもらえたらと思います」。
今、坂本さんは日用品やガソリンなど暮らしのすべてを地域でまかなっています。
「改めて地元の商店に行ってみたら予想外に品揃えがよく、ここだけで十分暮らしていけるじゃん!って嬉しくなりました。大事なのは自分のまちで“好き”を見つけて楽しく暮らすこと。みんながそうしていけば、どのまちもずっと輝き続けられるのでは?」と話します。
日奈久エリア
橋本 裕二さん(32歳)
2012年、25歳で日奈久の観光・交流の拠点『日奈久ゆめ倉庫』の館長に抜擢。前職の「八代よかとこ宣伝隊」(市観光物産協会)で日奈久地区を担当していた縁で日奈久のまちづくりに深く関わる。若手の地域団体『Team I LOVE日奈久』の事務局長も務める。
中心であり、陰でもあり、老いも若きもみんなで頑張る地域のパイプ役。
「九月は日奈久で山頭火」や「火流の彩(ひなぐのいろ)」など大きなイベントが年間に6つも開催される八代一の観光地、日奈久地区。これらのイベントの中心的役割を担うのが橋本裕二さん。
「気がついたら、いつの間にか真ん中にいましたね(笑)」。橋本さんの本来の仕事は『日奈久ゆめ倉庫』の管理・運営。それ以外は、厳密に言えば業務ではないものの、日奈久のために何ができるかを考え、まちづくりに従事しているそう。
「もともと日奈久地域は連携が強く、どのイベントも地域みんなで盛り上げようと各団体が協力しながら取り組んでいます。その中で、みんなが気持ちよく活動できるようお手伝いしているだけです」。
まずは、自分たちが楽しむこと!
今でこそ「わからないことがあれば橋本に聞け」といわれるほど地域から厚い信頼を寄せられている橋本さんですが、仕事が早く何でもサクサクこなせるだけに、一人突っ走り気味だった時期もあるとか。「でも一人は楽しくない、みんなとやることで喜びを分かち合える、そういう仲間づくりの場でもあるんですよね、まちづくりは」。
大事なことは、とにかく一人ひとりが楽しむこと。「自分たちが楽しくないイベントに、よその人が来てくれるはずないですから」。だからこそ橋本さんの役割は重要。高齢者も若者もまちづくりに取り組む一人ひとりが熱く輝いて見えるのは、真ん中にいながら、実は陰で支えている橋本さんの存在があってこそ。
「まちづくりは地域に興味を持ち、好きになることが大事です。みんなで八代を誇れる場所にしたい。難しく考えず、みんなで一緒になって何ができるかを考え、ともに八代を盛り上げていきましょう。」
泉エリア
橋崎 晋吾さん(43歳)
八代市泉町五家荘在住の通訳案内士。「八代よかとこ宣伝隊」所属時に五家荘地区を担当したことをきっかけに、2011年「五家荘地域振興会」に勤務と同時に移住。職場で知り合った妻と結婚、一男をもうける。その後2014年に英語通訳案内士として登録。翌年、外国人観光客を対象にした専業ガイドとして起業。五家荘をはじめ県内全域の魅力を世界に伝えている。
持続可能なまちづくりのために、もてるアイデアを時代に沿って具現化
標高1,000mを超える山々に囲まれた九州の秘境、五家荘。橋崎晋吾さんはここを拠点に外国人観光客向けの通訳ガイドとして活動しています。案内エリアは五家荘のみならず県内全域〜九州各県に及びます。
「これまでまちづくりに関わる中で、行政主体の事業ではどうしても制約が多く、できることに限りがあることを痛感しています。それなら、自分で身を立て、自分の力で地域を盛り上げていくしかないと考えていたところ、通訳案内士の制度を知り、コレだと感じました」。
どんな環境でも、道は開ける
もともと、中学時代から得意だった「英語を生かした仕事がしたい」という思いと、以前から県の外国人観光客誘致事業に関わる機会があったことから、通訳ガイドは需要が多く地域発展に欠かせないサービスとして、事業としても十分成り立つと実感。資格取得には英語以外に日本の地理や歴史など幅広い知識が必要でしたが、猛勉強の末、無事合格。翌年には外国人観光客を対象にした通訳ガイド事業を起ちあげました。五家荘にもこれまで多くの外国人を案内し、地元の民宿にガイドとして共に宿泊した回数は100回以上。訪れる側、迎える側双方に喜ばれ、各国から依頼の絶えない忙しい日々を過ごしています。
「現状では阿蘇や高千穂への案内が主ですが、地域に暮らす者として、五家荘をはじめ、生まれ育った八代市を中心とした観光を進めていくのが使命」とも話す橋崎さん。「都会での華やいだ暮らしだけが成功ではなく、辺境の地でもアイデア次第で世界へ道を開くことは可能。また次の時代を担う若者たちの生き方、考え方に少しでも役立てば幸いです」。
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