タイで活躍するプロサッカープレイヤー、樋口 大輝さん。
このコーナーでは、サッカーを通じて日本とタイの架け橋になり、両国のサッカー競技力の発展に貢献したいという彼の熱い想いを発信していく。
「『ガイナーレ鳥取』の監督だったタイ人のヴィタヤ・ラオハルク氏との出会いが、その後のサッカー人生を大きく変えることになった」
やつぶれ編集部(以下、Y)—『ガイナーレ鳥取』が当時所属していたJFLはどんなリーグでしたか?
樋口:その当時はまだJ3がなく、プロクラブとアマチュアクラブの両方がJFLに在籍し、リーグ戦を行なっていました。アマチュアとはいえ、HondaFCやSagawa Shiga FC(2012年に廃部)など、プロクラブに勝るとも劣らないハイレベルなサッカーを展開するチームもあり、勝つことが簡単なリーグでは決してありませんでした。
Y—印象に残っているチームメイトや監督、コーチがいれば教えてください。
樋口:当時『ガイナーレ鳥取』の監督だった、タイ人のヴィタヤ・ラオハクル氏です。彼がタイ人だということは全く気にしていませんでしたが、「なんだ、この中途半端な関西弁の外国人は!?」というのが初めて彼に会った時の率直な感想です。しかし彼のサッカーに対「する情熱、理論、トレーニングは私にとって全てが新鮮で、初めてサッカーを深く考えるようになりました。
Y—具体的にどういったトレーニングを行なっていたのですか?
樋口:細かくルールが決められていて、常に集中して周囲の状況を確認しないとミスをしてしまうような、そんなトレーニングが多かったと思います。また、練習の内容も同じトレーニングは今まで経験したことがないというくらいバリエーションが豊富でした。もちろん何を目的にトレーニングを行うかが一番大事ですが、様々な状況を想定し、ミスを分析して問題を解決するというプロセスはとても興味深かったです。さらに、ヴィタヤ監督との出会いが私のその後の人生を大きく変えることになります。
Y—試合の結果はどうでしたか?
樋口:加入1年目から試合に使ってもらいましたが、なかなか結果を出すことができませんでした。細かな指示があるためそれを遂行することだけで頭がいっぱい。サッカーは、状況を自分で判断してプレーするスポーツです。言われたことをそのままプレーすればいいわけではありません。1年目はほぼ全試合に出場しましたが、不甲斐ない内容だったと記憶しています。
樋口 大輝
1984年4月8日、熊本県八代市出身。
日本ではJリーグ準加盟クラブの『ガイナーレ鳥取』をはじめ、数チームに所属。
現在タイのプロサッカーチーム『チャムチュリーユナイテッド』でプレーしている。
ボランティア団体『ピースボールアクションタイランド』代表。177㎝、74㎏。
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