あの人に会いたい。File.17

人々の暮らしに溶け込むめがね橋 種山石工の偉業、後世に伝える

 「しょうがと石工の郷」、八代市東陽町。特産品のしょうがを生産する石積みの段々畑が連なる、日本の原風景が広がる自然豊かな地域です。この地域はかつて種山と呼ばれ、国宝の通潤橋をはじめとする数々の石造りのめがね橋を手掛けた『種山石工』を育んだ地域としても知られています。

 江戸時代から今日に至るめがね橋と石工らの功績や石の文化を後世に伝える博物館『石匠館』の館長を務める上塚さん。2代目館長で石橋の研究者である父・尚孝さんに連れられ、幼少期から調査に出かけていたそうです。「幼いころから石橋のある暮らしが私の日常。別の仕事をしながらも、父の講演会の資料づくりや書籍出版のサポートをしてきました」。

 令和元年から4代目館長に就任。石橋の中でもアーチ工法を取り入れ、高度な技術が必要とされるめがね橋。「橋として唯一の国宝・通潤橋や、アーチ橋としては日本一の大きさを誇った霊台橋を手作りした種山石工の功績は計り知れません」と語ります。

 現在も町内の21カ所に石橋が残り、生活道路として人や車が行き来する橋もあるのだそう。「一つ一つの石橋の歴史背景や複雑な工法、フォルムの美しさなど、それぞれの視点から石橋に興味を持っていただければ嬉しいです」と付け加えます。町を散策する前に石匠館で石橋の歴史や石工のルーツなどに触れてから実際の石橋を見ると、違う味わいが感じられるかもしれません。

日本遺産に登録された壮大な物語 人と人の縁をつなぐ架け橋に

 2020年(令和2年)6月、『八代を創造(たがや)した石工たちの軌跡~石工の郷(さと)に息づく石造りのレガシー~』として日本遺産に認定。上塚さんは、「橋本勘五郎など名の知れた石工だけでなく、その方たちの功績はその父や祖父の代からつながっている。偉業を成し遂げるには、壮大なストーリーがあることを知ってもらうきっかけになった」と語ります。そして現在、種山石工の功績を観光客に案内役として東陽中学校の生徒がボランティア活動に力を入れてくれているそう。

 323日に開館30周年を迎える石匠館。『東陽桜まつり』と併せて、展示イベントなども予定されています。その昔、知り合う機会さえなかった人々の暮らしが架橋により、人と人、地域と地域をつなぐ架け橋になったことは言うまでもありません。そしてその功績を後の世に語りつないでいくのが、石匠館の役割なのでしょう。

橋本勘五郎現在の八代市東陽町に生まれた。江戸時代末期から明治時代に活躍した名工。通潤橋(山都町)や霊台橋(美里町)、明八橋(熊本市)などを手がけた。

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●上塚 寿朗さん(55歳)

熊本県下益城郡城南町(現熊本市南区城南町)生まれ。東京の大学を卒業後、証券会社やコンピューター関連の仕事に携わり、2019年(令和元年)から『八代市東陽石匠館』館長を務める。日本の石橋を守る会理事。

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