「日本語補習校卒業」
うちの子ども達がこの3月、毎週土曜日に通ってた日本語補習校をとうとう卒業します。うちの12才は初等部を、17才は高等部を卒業です。12才は中等部には上がらないことにしました。バレーボールに集中したいのと、授業料がお高くなっちゃって、年間30万円ぐらいするんですね。30万あったら夏休みに日本にバレー修行に行かせたいなーと思って。まあコロナが収まればの話ですけど。
うちの子ども達が通ってる補習校は、毎週土曜日の朝9時から午後2時半まであって、日本の学校で使ってる教科書を使って勉強してます。補習校はよく「日本語“を“学ぶ学校」と勘違いされがちなんですが、実際は日本の学校と同じで「日本語“で“学ぶ学校」です。だから基本的には日本と同じことやってるんですね。科目は国語、算数、ときどき社会って感じでしょうか。ちなみに小学生の国語の教科書は八代と同じ『光村図書』です。だからうちの子ども達が八代の小学校で体験入学したときも同じ教科書だったのでぜんぜん問題なかったんですね。
うちの17才は年少から補習校に通ってました。うちの周りの補習校はどこも幼児部もあって、幼児部から高等部までの子ども達が同じ校舎で学んでるんですね。だから面白いですよ。小さな子ども達が先生に引率されて廊下歩いてる横を中高生たちがぞろぞろですから。幼児部の子ども達は、同じように日本語の学校に通ってる大きなお姉ちゃん、お兄ちゃんたちを見ながら育っていくわけです。そしていつか彼らが大きなお姉ちゃん、お兄ちゃんになるんですね。
うちの12才は計8年、17才は13年補習校に通いました。週1回でも同じ学校にこれだけ長い間通い続けるって、私は経験したことないんですね。なので二人にとって補習校がどれだけ大事な存在であるか、いまいち分からないんですが、彼らの人生の一部になってることは間違いないんでしょうね。ホント頑張ったねー。卒業おめでとう。
筆者:竹永浩之
八代市出身。八代小→一中→南校(現:清流高校)→沖縄の大学へ(小中高時代のあだ名は“ポンタ”)。
沖縄で海の仕事に従事→アジア放浪→渡米。メディアで働いたあと主夫に。
アメリカ人のかみさんと息子2人の4人家族。米国・ニュージャージー州在住。
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