タイで活躍するプロサッカープレイヤー、樋口 大輝さん。
このコーナーでは、サッカーを通じて日本とタイの架け橋になり、両国のサッカー競技力の発展に貢献したいという彼の熱い想いを発信していく。
「大学時代最後の試合はベスト8で幕を閉じた。
サッカー人生の中で、初めて涙を流した試合だった」
やつぶれ編集部(以下、Y)—大学最後の試合はどうでしたか?
樋口:4年生としてのぞむ最後の全国大会は2つありました。夏に行われる総理大臣杯、そして冬に行われる全日本大学サッカー選手権大会です。夏の総理大臣杯前に行われていたリーグ戦では苦戦を強いられ、前期を終えて4位。監督からは「今年のチームは史上最弱だ!」とまで言われる始末。これではダメだと毎日朝練を課して、走って走って走りまくりました。
そのお陰か(?)、総理大臣杯が始まってみれば夏の暑さをものともせず勝ち進み、決勝では敗れたものの準優勝。福岡大学サッカー部史上歴代記録1位タイとなるタイトルを獲得しました。(その後福岡大学は全国大会で優勝したので、現在は歴代2位の成績です。)
冬の大学選手権ではベスト8まで勝ち進みましたが、PK戦の末に学生としてのぞむ最後の大会に幕を閉じました。試合後はなぜか自然と涙が溢れ、チームメイトたちと4年間の想いを分かち合いました。ちなみに、これまでのサッカー人生で試合に負けて涙を流すのは後にも先にもこれが初めてでした。
なぜ涙が出たかは よく覚えていませんが、今思えばそれだけ福岡大学サッカー部として活動した4年間が充実していた証だと思っています。
Y—卒業後の進路はどのようにして決めましたか?
樋口:卒業後はもちろんJリーグ入りを目指していたわけですが、大会後にJリーグクラブからのオファーはありませんでした。いくつかJリーグのトライアウトを受けるもそれもダメ。仕方なくJFL(日本フットボールリーグ。今はJ3の下のリーグ)の合同トライアウトを受けることになります。そこで当時JFLでJリーグ入りを目指していた『ガイナーレ鳥取』からアマチュア選手としてオファーをもらい、選択肢がなかった私はここでプロの道を作って行くしかない!と固く決意し、契約書にサインすることにしました。
アマチュアサッカー選手としての給料は月3万円。ここから私の第2章、社会人編が始まります。
樋口 大輝
1984年4月8日、熊本県八代市出身。
日本ではJリーグ準加盟クラブの『ガイナーレ鳥取』をはじめ、数チームに所属。
現在タイのプロサッカーチーム『チャムチュリーユナイテッド』でプレーしている。
ボランティア団体『ピースボールアクションタイランド』代表。177㎝、74㎏。
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