タイで活躍するプロサッカープレイヤー、樋口 大輝さん。
このコーナーでは、サッカーを通じて日本とタイの架け橋になり、両国のサッカー競技力の発展に貢献したいという彼の熱い想いを発信していく。
Bridge challenge #10
「サイドバックに変わり、相手のプレッシャーをかわしながら、
間合いやタイミングを掴むために試行錯誤を続けた。」
やつぶれ編集部(以下、Y)ポジションがトップ下からサイドパックに変わりましたが、具体的にプレーはどう変わりましたか?
(樋口)まずはプレーするエリアが違います。トップ下の場合、360度自由に動けるスペースがあります。サイドバックはプレーエリアがタッチライン沿い(ボールがタッチラインを割ると相手ボールになる)で、基本的に180度しかありません。相手もサイドバックにボールが入るとプレッシャーをかけてきます。要は逃げ場がないわけです。サイドバックにコンバートされた当初は、相手のプレッシャーからどう逃げるかを試行錯誤していました。
(Y)サイドバックになって、苦労した点や新たな発見、気づきなどはありましたか?
(樋口)もう1つ苦労した点は守備です。今でこそ相手フォワードとの1対1にサイドバックとしての醍醐味を感じていますが、その当時は相手との間合い、ボールにアタックするタイミングなど何もわからず、何度も対戦相手に抜かれました。最初はとにかく食らいついていくのがやっと、という感じでした。
自信に変わった部分もありました。サイドバックというポジションは守備的な位置に配置されていますが、攻撃参加も求められます。攻撃に出てボールを奪われたらすばやく守備に戻る運動量と、左右の足でボールを正確に蹴ること、この二つの強みが活きていたと思います。
(Y)サイドバックとして初めて公式戦に出た時のことを教えてください。
(樋口)一年生の夏合宿明けすぐにトップチームの公式戦がありました。サイドバックにコンバートされて間もなかったのですが、監督は私を使い続けてくれました。初の公式戦は、緊張はありませんでした。 とにかく必死で、毎試合どんな気持ちで臨んでいたかはよく覚えていません。“適応力”、この言葉は私のプレースタイルに合っていたのかもしれません。 特別足が速いわけでも、凄い技を持っているわけでもありませんが、状況を判断して自分を変えていけるチカラが備わっていたと思います。
トップチーム初出場を果たしたその3ヶ月後、目標にしていた全国大会の地を踏むことになります。
樋口 大輝
1984年4月8日、熊本県八代市出身。
日本ではJリーグ準加盟クラブの『ガイナーレ鳥取』をはじめ、数チームに所属。
現在タイのプロサッカーチーム『チャムチュリーユナイテッド』でプレーしている。
ボランティア団体『ピースボールアクションタイランド』代表。177㎝、74㎏。
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