Bridge~異国で挑戦する夢追い人~

やつしろぷれす Bridge

タイで活躍するプロサッカープレイヤー、樋口大輝さん。
このコーナーでは、サッカーを通じて日本とタイの架け橋になり、両国のサッカー競技力の発展に貢献したいという彼の熱い想いを発信していく。

Bridge challenge #9

福岡大学サッカー部には、全国から名だたる選手が集まってきました。アンダー世代の日本代表、高校サッカー選手権優勝メンバーや得点王など。私は初めて全国レベルの選手たちと切磋琢磨することになります。初めて練習に参加した時の印象は「みんな超上手い…!」

お山の大将で育ってきた私にとって、彼らと出会うことはカルチャーショックに近いものがありましたが、たとえ技術で劣っていても、自分の特徴は前面に出していこうと考え、その当時から自信のあった運動量と左右のキックでどんどんアピールしていくことにしました。時には先輩だろうが関係なく激しくボールを奪いにいったり(鼻の骨を折られたこともありましたが)、走りのトレーニングでは常に先頭グループにくっついていきました。とにかくがむしゃらにサッカーに打ち込んでいると、面白いもので神様がチャンスを与えてくれるんですね。トップチームのスタメンの4年生がバイク事故で怪我をし、左サイドバックの人材がいなくなったのです。そこで白羽の矢が立ったのが、当時まだ一年生の私でした。夏合宿明けに監督に呼ばれ、『これからサイドバックの時代が必ず来る!新たなポジションで挑戦してみないか?』と伝えられました。ロベルト・カルロスという世界のスター選手はいましたが、日本でサイドバックというポジションが注目され始めたのはこの3年後、サイドバックの長友佑都がブレイクしてからだったと記憶しています。元々私は、トップ下と呼ばれるポジションで自由に動いて攻撃に参加するタイプの選手でした。それが急にサイドバックをやれと!?守備の仕方は!?サッカー選手の心理からお伝えすると、真ん中のポジションの選手はサイド、ましてやその当時まだ注目もされていなかったサイドバックをやりたくないんですよね。真ん中にこだわりがあるというか。私も正直嫌でした。断ろうかとも思いました。…が、これは1年生でトップチームの試合に出場できるチャンスです。このチャンスを逃すわけにはいかないと、左サイドバックという新境地に挑戦する決意をしたのです。

ご存知の方もいるかもしれませんが、私の今のポジションもサイドバックです。実はこの大学でのポジション変更が、私のサッカー人生を作るきっかけにもなっているのです。あのままトップ下を続けていたら、もしかしたらプロサッカー選手樋口大輝はいなかったかもしれません。

 

樋口大輝

1984年4月8日、熊本県八代市出身。日本ではJリーグ準加盟クラブの『ガイナーレ鳥取』をはじめ、数チームに所属。
現在タイのプロサッカーチーム『チャムチュリーユナイテッド』でプレーしている。
ボランティア団体『ピースボールアクションタイランド』代表。177㎝、74㎏。

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